フットウェア部門
フューチャーデザイン賞
REshuse16
[1998&2004 LEATHER×KNIT UPPER×vibram LB078 Canter]
個人
紀井さんは、ヒコ・みづのジュエリーカレッジの講師。靴づくりを教え続け、約20年になるベテランだ。教職の傍ら趣味的に靴づくりはしていたが、転機が訪れたのは3年前。コロナ禍となり、対面授業が休講に。何か学生に発信する方法はないかと考え、毎日必ず1本、Instagramで靴づくり動画を投稿することを自らに課した。
「制作のコンセプトは、靴の『Shoe』と『Reuse』をかけた、『Reshuse』。履かなくなった靴を分解したり、裁断したりして、使えるパーツを組み合わせることで新たな命を吹き込む靴づくりです」
履けなくなっていた靴も、なかなか捨てられないと話す紀井さん。かつてはそんなスニーカーを、天井から吊るして飾っていたこともあるという。
「でも、靴はやっぱり、履かれてなんぼ。それがアイデアの発端でした」
つま先側とかかと側、複数ブランドの靴を大胆に組み合わせることも多いReshuseの制作工程。そもそもまったく異なる木型でつくられている靴同士なので、見た目はもちろん、履き心地にまで配慮した調整は細部にまで及ぶ。それを成立させることができるのは、長年業界に身を置いてきたその経験ゆえだ。
「でも、学生に一番伝えたかったのは何より、ものづくりに対する姿勢。これまでインスタを通して見せてきたことって、誰でも家で取り組めることなんです。僕自身、投稿を始めた当初は、自宅に靴用のミシンも持っていませんでした。でも、家庭用の小さなミシンでも結構縫えちゃうものなんです。試験で技術を採点する場合は別ですが、いまの状況でできることをやってみようよ、そんな気持ちで始めました」
今回の受賞作品も、Reshuseの考え方から発想した一足。
「黒の革は25年前に購入したものなんですが、見るとすごく状態が良い。四半世紀を経ても素材として遜色ないというのは、レザー本来のポテンシャルに他なりません。これをベースに作品をつくることに決めました」
相棒に選んだベージュの革も、屋根裏のデッドストック。こちらは19年ものだという。
「中に組み入れたニット靴は、以前、近所履きとして購入したもの。でもどうにもフィット感が悪くて、しまい込んでいて。サイズ調整をかけて、今回使用しました。ナイロン素材は、劣化せずに形状を保持するという持続性があるので、長年の使用に耐えるレザーと組み合わせるにはぴったりだと思ったんです」
いわば、新旧サステナブル素材の競演だ。
ソールには、リペア用のビブラムソールを採用。主たる材料を、すべて自宅に眠っていたストックで賄った。
紀井さんが靴づくりに興味をもったのは、19歳のとき。バスケットボールの試合中に、十字靭帯断裂という大けがを負ったことがきっかけだ。
「足に靴が合ってなかったことが、ケガの原因だと感じました。シューフィッターの講習に参加したのが、靴業界との出会いです」
その後本格的に製靴を学ぶため、専門学校へ。卒業後は婦人靴メーカーの企画開発課で、パタンナー、デザイナーとして勤務する。
「働き始めて数年後、ヒコ・みづのジュエリーカレッジのシューズコースが立あがることを知って、転職。いまに続く、教師のキャリアをスタートさせました」
教鞭をとるのは、靴づくりに関するすべて。デザイン、パターン、縫製、底付け、さらには作品の良さをいかに伝えるか、プレゼンテーションの方法も教えるという。
「すべては学生のため」。インタビュー中、たびたび登場するのはその言葉だった。
「普段は教える立場ですが、自分自身も挑戦者としてやっていきたいんです。背中を見せることで、学生の道しるべになれればうれしいなって」
教師として一番たいせつにしていることを問えば、「楽しいきもちを植えつけること」と即答した。
「楽しいと思ったら、周りからとやかく言われなくてもやり続けられるんです。そのパワーをもっている人間が一番強い。それを伝えるためには、まず自分たち大人が楽しんでなきゃダメ。子どもたちに希望を与えられない社会になっているとしたら、我々の責任も大きいと思います」
もういらない、と言われるその日まで、教育者を続けたいのだと紀井さんは話す。人に求められるのが幸せ――。そう笑う彼の人間力と技術力が、未来のシューメーカーを育てている。
文=中村 真紀
写真=江藤 海彦