ウェア&グッズ部門
ベストプロダクト賞
ジビエ鹿革半纏
(見立文覚宗三郎滝行図)
chelsea leather art work
「骨董品の収集が趣味で、約120年前の革半纏が手元にあって。これを一から自分でつくってみたらおもしろいんじゃないか、そう思っていたんです」
何年も前から、構想はあった。今年初めてレザーアワードに挑戦しようと決めたとき、日本の革で勝負するこのコンテストにはうってつけの作品になると、制作を決意。
「実際に着用することを想定して着丈は長すぎず、袖口は職人半纏に見られる『鉄砲袖』という狭い筒袖に。総手縫いで仕立てました」
素材に選んだのは、地元である広島で生産された純国産のジビエ鹿革。
「常日頃、なるべく純国産レザーを使いたいと思っています。でも、最優先は論より質。このジビエ鹿革は、実際に手にとってみたら本当に質が良かった。いい作品ができる、そう確信しました」
表面は柿渋染め。襟元の文字は、江戸時代の草書体「御家流」をベースにアレンジしたオリジナルの書体だ。左襟に自身の名前「厚志」をもじった「志ん公」、右襟に広島を意味する「芸州」とある。
一方、背面の大紋はハネが特徴的な「髭文字」の要素をプラスし、「革」の一文字を。その下の腰柄に、サイコロの目で「3」と「6」。足して「9」ということで、通して読むと「革」「サイ」「9」。「革細工」と読ませる洒落をきかせている。
「サイコロの配置を、少しだけ左右非対称にしたのにも意味があるんです。本筋を捉えつつも、そこにわずかな遊び心を加える、そんな、江戸の粋を表現しました」
現代に比べて娯楽が少なかった時代。だからこそ、人々はよりアイデア豊かだったのかもしれないと、北崎さんは話す。
ひときわ目を引くのは、裏の絵柄。講談や落語で知られる「宗珉の滝(そうみんのたき)」を題材にして描いたものだ。これは、宗三郎という彫金の職人が、名人になるまでの物語。
あるとき殿様から、刀の鍔に「那智の滝」を彫ってほしいと依頼を受けた宗三郎。しかし、酒を飲みながら彫るなど仕事態度が悪く、できた作品も二度は殿様からつき返されてしまう。心を入れ替え、21日間断食しながら滝行に挑み、一心不乱に取り組んだ鍔は……
「あまりにも魂がこもり過ぎていて、なんと彫った滝からしぶきが出た、下に敷いてあった紙が濡れた、っていうんです。宗三郎はその後、二代目宗珉と改め名人として長く名を馳せた、というお話。このストーリーにちなんで、刀の鍔をかたどった金色の縁からは、滝のしぶきが外に飛び出すように描きました」
北崎さんがものづくりに興味をもったのは、中学生のころ。進路を考えたときに、「ファッションが好きだ」、そう確信したという。高校時代には、アルバイトでためたお金でミシンを購入。独学で制作を始め、卒業後は洋服の専門学校に進学した。
「革との出会いは、19歳のとき。行きつけだった古着屋さんにあった、ヴィンテージのスタッズベルトがめちゃくちゃかっこよかったんです。でも、高すぎて手が出なくて。だったら自分でつくってみようと思ったのが、レザーアイテムをつくり出したきっかけですね」
その後財布、バッグと、シャツと、制作アイテムの幅を広げていった北崎さん。ちょうどそのころ広島にあるアパレルメーカーを知り、卒業後はそこで働きたいと考え始める。
「募集はしていなかったんですが、在学していた福岡から広島まで、1年間通い詰めて。いよいよ卒業となったとき、社長も根負けしたんでしょうね。採用してくれたんです」
販売員として働きつつ、次第に店で販売するレザー製品を制作するようになった北崎さん。5年間勤めたのち、26歳のときに独立。「chelsea leather art work」を立ち上げた。
「修理からオーダーまで、革に関することならなんでも。断ることは絶対にしません。期待に応えて、さらにその期待を超えていく。それこそが、職人としての了見だと思っています」
夢は、「名人になること」。北崎さんはそう話す。
「名人とは、技術が匠みであることはもちろん、抜かり間違いのない仕事をする、さらには常識では考えられないような離れ業をやってのける存在。だからこそその作品は、百年以上にわたり世に遺るんですよね。そんな、時代を超える何かをつくりたい。結果、後世の誰かが、僕のことを“名人”と呼んでくれたなら本望ですね」
自らを信じ、努力を惜しまない者にこそ、道は開ける。彼の描く未来は、きっと百年を待たずして訪れるに違いない。
文=中村 真紀
写真=江藤 海彦